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Quot homines tot sententiae(人の数だけ意見がある)。

水素自動車に本当に未来はないのか

    先日、とある記事で水素自動車には未来がないという旨の主張がなされていた。その件について、思うところがあったので久々に記事を書く。

 なお、旅先にてタブレット端末を使用したエントリーである為、ソース等の明示ができなく、私の記憶等に頼った簡易的内容になる事をご了承頂きたい。また、私はエネルギーや環境学、応用化学の専門でなく、素人の横好きで興味があるレベルなので、専門家の方々にあたっては誤り等があれば、ご教授願いたい。
 
1.エコと経済性・現実性
 まず、当該の記事における「未来がない」という定義について述べたい。水素自動車等の新たな技術の応用が求められたのは、いわゆる「資源の枯渇」「サステイナビリティ」の観点で、現行技術体系が化石燃料依存(ウラン等も含む)であり温暖化問題もあいまって、「未来がない」恐れが高まっている、限界に迫っているからだと私は理解している。
    当然ながら、科学技術の発展の歴史から考えても、経済性や汎用性、現実性は石油を用いる技術体系が優れていたからこそ、今日の発展があるのだ。ただ問題は、それをいつまで続ける事ができるのか、その技術体系だけに依存する状態でいいのか、場合によってはこれまでの贅沢を我慢すべき時代が来るのでは、という事が問われている過渡期に現在はある点だと考える。そういう観点で、現行の技術の改善というならば一つの答えだ。しかしながら、当該記事はいささかピントがずれているように私は思えた。
 
2.エネルギー問題で忘れがちな観点
 原発問題についてもいつか記事を書きたいと考えているので、そこでも触れると思うが、エネルギー問題で今や考えるべき観点は、コストや効率だけでなく、環境負荷などのエコの観点も重要である。原発でいうなれば放射性廃棄物であり、火力で言えばCO2であったり、である。なお、他にも風力発電による環境破壊や低周波振動、化石燃料を燃やす事によるいわゆるPM2.5等のparticulate matter、粗悪な石炭由来のフライアッシュ等に含まれるヒ素、水銀等の有害元素による汚染等、他にもエネルギー源には美味しい話だけでなく、デメリットやリスクも各々合わせ持つものである。
 さらに強調したいのは、これはその技術のライフサイクルを総じて判断すべきという点である。ここでいうライフサイクルとは、例えばガソリン車であるならば、燃料であるガソリンを採掘し精製し運搬するコストやエネルギー、ガソリン車を製造し、最終的に廃棄するコストやエネルギーを総合的に見なければならないという事だ。その技術の有利なところだけを切り出して比較するのは、フェアな比較とは言えない。
    翻って、当該記事で考えてみると、水素で燃料を合成するとあるが、その合成もコストがかかる点や効率・収率の観点で本当に有効と言えるか検討が必要と思う。私にはそれを試算できる材料がない為、無責任であるが、ここまでしか言えない。また肝心のCO2について言及がなかった点は残念だ。この点については、カーボンニュートラルの考えに触れて頂ければ、説得力のあるものとなっただろうと思う。
 
3.最後に
 当該記事について、細かいその他の問題があるが、一方現状の水素も生成方法、運搬・充填方法など課題も多いのは素人の私でも分かる事実だ。ただ、科学は難題に取り組み克服するのが本質であり、やりがいであって、始めから白旗を降って諦めていたならば、現代の発展はなかった事を強調したい。その意味で、トヨタの回し者ではないが、ミライ関係のトヨタの行動は評価している。
    色素性増感太陽電池など太陽光発電も面白いものが研究されており、水素の生成も下水道処理から作ろうとしたり、微生物で作る試みも耳にし、なかなかエネルギー界隈も面白く世の中を明るくする研究をしているなと感心する次第である。各家庭に太陽光発電がもっと普及し、余剰電力で水素を作り、燃料電池を使うのも面白い試みと思う。電気分解でなく、燃料電池の仕組みを利用した水素生成方法も以前どこかで目にして面白いと感じた。
 素人の空想で申し訳ないが、各家庭各地域で細かく発電でき、それを供給共有できるスマートグリッドが形成されるといいなと夢想している。
(専門家の方々においては無責任な妄想で申し訳ないです…)
 
  完全無欠のデメリットやリスクが存在しないドラえもんの秘密道具のような科学技術など存在しない。その道の専門家の表に出ない数多くの汗と失敗、ネガティブデータの山の先に形となる技術がある訳で、スイッチを押すように簡単に研究は行われていないものである。そこに思いを馳せ、敬意を表し、新しい技術の門出を私は応援したい。